フリーランチはある。
経済学の有名な言葉に『フリーランチはない』というものがあります。
これの変化系が『ただより高いものはない』ってやつでしょう。
さて、本当にフリーランチはないのでしょうか?
私はあると思っています。
そもそも存在がないことの証明は相当に難しいはずなのに、どうして経済学者はこんなことを言うのかなとさえ思っています。
何かを得るためには何らかの対価を払わなければいけないという意見はある意味真っ当かもしれません。
しかし、蛇口をひねれば水は出ますし、スーパーに行けば試食品を食べることができます。
本当にフリーランチはないのでしょうか?
蛇口の水は税金、スーパーの試食品は広告という考え方は的を得ていると思いますが、フリーランチがないという結論にたどり着かせるための論理です。
本当にフリーランチはないのでしょうか?
私たちの生活を原始時代まで戻し、原始人は食べ物を探すと言う行為が、ランチを得るためのコストだという意見もあるかもしれませんが、私はこの極論には反対です。
そんな極論が成り立つなら、赤ちゃんは母乳というフリーランチを得ているという反論も可能でしょう。
公共サービスは私たちが税金というコストを払っているのかもしれませんが、国家という仕組みは、対価としてのサービスではなく、相互扶助という助け合いの精神だと思っています。相互扶助は必ずしも対等である必要ないのではないかと考えています。
さて、話は戻しますが、フリーランチはある論理的にはあると思っています。
生命の源は太陽や海、大地なのです、これらは最初から与えられていました。
それを元に、私たちはいきているはずです。
だからフリーランチはあると思います。私たちは恵まれています。
こんなディズニーっぽい感じの発想は横に置いておくとして、
実際問題、イオンタウンで水を飲むのに、お金を払っている自覚はありますか?
スーパーの試食販売で何を食べる時、コストを支払っている自覚はありますか?
フリーワイファイを使用している時、通信料金がかかっている自覚はありますか?
すくなくともわたしにはないです。
世の中にはフリーランチだらけなんじゃないかと思っています。
なぜなら、もともとが海、太陽、大地というフリーランチからスタートしているからです。
もちろん、働かなければ生きて行けないのは事実ですが、働きつつ、なるべくフリーランチを探して生きることで、圧倒的に生きる力がつくし、お金持ちに近づくのではないかと思っています。
要するにコストパフォーマンスを高めようっていう話になるのかもしれません。
とにかくフリーランチはあるんじゃないかと想像します。
毎月14日は投資の日です。
銘柄選択よりも株式投資の比率を上げるための工夫をしていきましょう。
コツコツとS&P500に投資をしつつ、一緒にお金持ちになりましょう。